「目白の暗い木立の中の明るいアトリエ」
こんばんは。
2月の晴れの日は、透きとおる青い空。気持ちいいものですが、油断すると風は冷たい・・・
そんな日に突然にできた空き時間、
どこかで時間をつぶそうとグーグルで周辺検索してみると、
「佐伯祐三アトリエ記念館」の文字が。
ちょっと覗いてみようと行ってみました。
新宿区立、佐伯公園+佐伯祐三アトリエ記念館
入場料 無料
ひとの気配がない中、恐る恐る入ってみると、洋小屋が
「佐伯祐三は大正十年(1921年)、妻・米子(よねこ)との結婚を機に、下落合(現・中落合二丁目四番)にアトリエ付き住宅を新築しました。」パンフレットより
となると、この洋小屋のアトリエは築100年弱??~とてもそうは見えません・・・
案内にしたがって、展示室であるアトリエへ
南側がアトリエ入口になってます。南側ですが、窓はありません。
ようこそ、とばかりの”佐伯祐三”パネル
入った瞬間あったので、ちょっとびっくりしました。
中には、ビデオ展示、人物史のパネル展示、絵のコピー等が展示されています。
広すぎず、狭すぎず、集中するには良い空間です。
そして北側の大きな窓はとても明るい~
均一でムラのない北側の採光は、自然光で絵を描くアトリエにぴったり。
小屋裏の空間、ちょっと気になります。
さて、佐伯祐三とは・・・
(イケメンの)天才の夭折の画家
東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋学科卒業後、パリで2年、健康状態を懸念して帰国、
このアトリエで2年、そして再度パリへ行って1年経った30歳でこの世をさる・・・
密度の濃い人生
わたしはこの作品が好きです※ここに現物展示品はありません。
このアトリエは、平成22年に当時のまま敷地に再現されたものだという。
大正の当初は、現テラスになっているアトリエ南側に居住スペースがあったそうな。
学生の時に結婚をし、新築したこのアトリエ付き住宅、
つくった大工さんから佐伯祐三は鉋をもらい、増築したとか。
画家等創作活動する人は、ものつくりも好きなものですね。
~学生が家を建てる?今では想像しがたい事ですが、
佐伯祐三氏は浄土真宗光徳寺の次男、妻の米子さんは銀座の象牙美術商の娘さん。
両家ともに、ご実家が裕福だったんですね。
そんなこのアトリエで、祐三氏の創作期間はわずか4年・・・なんとも短い。
そんな短い創作期間の中で、作品を生みだしていった情熱に感心してしまいます。
今回こちらを訪ねて、一番わたしとして印象に残ったのは、佐伯祐三の妻、米子さんのこと。
身体が不自由でありながら、佐伯氏の看病、また娘さんも病に倒れ看病をしていたそう。
そして、パリで佐伯氏が亡くなったのが、1928年8月16日、同月30日にひとり娘のやちこちゃんまでも亡くされたという。。。
何とも非情な状況・・・
ふたりの遺骨とともに帰国し、米子さんもこのアトリエで創作活動をされたのだとか。
米子さんは75歳で亡くなる前年まで二科展に出品されていたそうです。
帰国されてからの44年弱、ここでひとりで絵を描かれていたのかなぁ・・・
夫とともに、こどもも亡くし、帰国し家族で過ごした家で過ごす・・・
その状況を想像すると、どんな気持ちで過ごされていたのか、とても複雑な心境になりました。
アトリエ外は、佐伯公園。
梅の花が少し~
広くはないですが、ベンチがいくつか。
座って写生されている方もいました。
夭折の天才画家へ思いを馳せて
また、家族と思い出の場所で、旦那を引き継ぐよう創作活動をされた女流画家を想い
無料の施設なので、ご興味ある方は、是非お気軽に。